DO.23
NYとLAをスケートで駆け巡ったからこそ湧いてくるKAN HIRANO流アートの感性。
2024.4.16
グラフィティやミューラルを手がけるストリートアーティスト・KAN HIRANOさんを深掘り取材。
「物心をついた頃には音楽にハマっていて、中学生の時にはバンドを始めギターにゾッコンだった。」
そう語ってくれたのは、音楽や横ノリカルチャーをオリジナリティ溢れるアートに落とし込んだ「KAN HIRANO」さん。彼のバックグラウンドやアートに対する想いについてお話を伺った。
Q: KANさんのアーティスト人生のスタートはいつだったんですか?
絵を描くようになったのは12~13年前だから30歳すぎかな。ただ、中学の時からギターやらドラムやらやってたので、今思うと「アーティスト人生」でいうと、その時から始まってたんですかね。
Q: アーティスト人生の転機はいつだったんですか?
15年ほど前に下北沢に住んでいた頃、世間はカフェブームの到来で近所のライブハウスが少しずつなくなっていって。そんな時、「Dragon76」さんに出会って、同じタイミングでロングボーダーにフィーチャーしたフィルム映画 “Sprout” や、アレッジドギャラリーの創設者・アーロンローズのの “BEAUTIFUL LOSERS” みたいなドキュメンタリー映画を観て、居ても経っても居られなくなってNYとLA飛び立っていました。
向こうでは、毎日スケボーで移動しながらグラフィックやミューラルアートを観てインスピレーションを受けてきました。例えば、SHEPARRD FAIREYのObeyGiant、Banksy、Futura、ELMACなど。あの日々が魂を動かして音楽をやめてこっちの人生に進む決心がついた、って感じですね。
Q: アメリカから帰ってからどんな活動をしていたんですか?
下北から福岡に拠点を移して、個展、壁画制作、グラフィック、ライブペインティングを行うようになりました。
ライブペインティングの仕事でいろんな国に呼んでもらえるようになって、香港、マカオ、ドイツ、スペインなど。いろんな所を飛び回ってました。 “シルク・ドゥ・ソレイユ” や “ジャッキーチェン” のイベントにも参加していました。
Q: ご自身のアートへのこだわりを教えてください!
実はこだわりというものはないんです!(笑)
それよりも、その時の気分、雰囲気、直感みたいなものを大事にしています。
Q: KANさんにとって「アート」とはなんですか?
“自分らしさの表現” ですね。
だんだん仕事をもらえるようになった頃は、「金のために」とか「ライバルを蹴落としてでも」みたいな気持ちが見え始めて葛藤がありました。だけどそんな葛藤をしていくうちに、「Art = 仕事だけど仕事ではない!お金だけの問題ではない」と思うようになりました。
その後、宮崎に移住したことをきっかけに始めたサーフィンの魅力にどっぷりつかっていったKANさん。好きなこと・心踊ることに対して貪欲な彼が大事にしているのは「人生、他人に感謝を忘れずに」ということ。
アーティストのKANさんは、壁やキャンバスだけでなくタトゥーアーティストとしての一面もある。次回は、まるで旅のような波瀾万丈な人生を送るKANさんのバイブスに触れながら、タトゥーアーティストとしての一面を紹介予定。
アーティスト
KAN HIRANO
Instagram:https://www.instagram.com/kan_hirano/